登戸学寮HCDプログラム

2023年ホームカミングデー

日時:2023年11月25日(土)16時~18時

場所:登戸学寮・ オンライン配信

             司会 結城史音


〇16:00挨拶 岸本 尚毅 (OB、理事 寮友会)

〇16:05寮生活動支援報告:

   ・ 川嶋すず菜   ネパールヒマラヤ、アニデッシュチュリ登山隊参加

   ・ 中村真子    京都、大阪日本美術研修

   ・ 牧真人      教会音楽講習会受講(聖歌隊指導法)(羽村市)

マティアス・マイヤーフォーファー・パイプオルガンマスターク ラス受講(長野
市)

                ピアノ演奏

    ・ 結城史音   「きんじょの本棚」の活動

・ 吉野泉     オーストラリア アデレード大学語学研修、アルメニア イェレ
ヴァン周辺 ロシア語研修

〇17:20 卒寮生、お客様スピーチ

 坂内宗男 (OB、元寮長)、大谷恵(理事)、副島茂(OB、前評議員)、

土屋真穂(評議員)

〇朗読劇:

ハンカチ―皇帝ティベリウスの乳母、友ファウスティナ物語― 

(ラーゲルレーヴ原作)

 結城史音(ティベリウス)、中村真子(ファウスティナ)、原島寛之、浜崎航希 
(ナレーター)他

〇讃美歌 537番 わが主のみまえに

〇閉会の祈り  小西 孝蔵 (OB、常務理事)

〇茶話会



 

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2024年度入寮式が行われました

 桜咲くこの春も新寮生4人と復学1人を迎えました。梅咲くころ8人の寮生を社会に送り出しました。お一人お一人それぞれ新しい働きの場所を得ての旅立ち送り出す側としては安堵しております。学寮はこのように若者たちが来ては去りしています。ここでの何年かの生活が少しなりとも、彼らの肉の糧、心の糧として滋養となり、社会で大きく羽ばたくことを願っております。

以下式次第と式辞を掲載します。

2024年度 登戸学寮入寮式式次第

                      2024年4月6日(土曜日)午後2時

                      司会 川嶋すず菜                                                                             

                      奏楽 牧 真人

                      司式 千葉 惠

前奏

讃美歌       533番 くしき主の光

聖書朗読      詩篇100篇

祈祷        牧真人

挨拶        小島拓人理事長

来賓祝辞      小館美彦氏(春風学寮寮長)

歓迎の言葉     原島寛之

歓迎の歌      高田聖也

新寮生スピーチ   遠藤優弥、中村華子、廣橋環、堀内京(少林寺拳法演舞)、三浦千尋

式辞         千葉 惠

讃美歌        531番 心のお琴を 

祈祷

後奏

2024年度入寮式式辞

                            4月6日

はじめに 

 桜咲くこの良き日に、遠藤優弥君、中村華子さん、廣橋環さん、堀内京君、そして復学の三浦千尋君、登戸学寮にようこそ。心から歓迎いたします。学寮を生活の基盤とする皆さんの学生生活が楽しく実り豊かなものとなりますように。そのためにわたしども親の愛をもってできるだけのサポートをしていきたいと思います。これも何かのご縁です。お互いに思いやり、助け合い良い日々をつくってまいりましょう。なおこの夏にテキサスからCalebさんが戻ってきますし、オクラホマからDaniel君が入寮します。楽しみです。

 さて、皆さんを歓迎する言葉を探します時に、やはり私どもが置かれている歴史のなかでの位置を確認することから始めたいと思います。人類は一回限りの歴史を刻んでおります。20世紀に入り相対性理論や量子力学等理論物理学で革命的な進展がありました。この知識があらゆる物質を構成している原子核の力を摘出する技術を生み、広島、長崎につながりました。人類は宇宙に満ちている根源物質の法則の謎を解明し地球から生物を、或いは地球そのものを滅ぼしてしまう力を手にしました。

 1990年代中半以降の情報革命は私どものライフスタイルを一変させました。21世紀生まれの皆さんはその時代の申し子です。思えば19世紀マイケルファラデーが簡単な磁石の実験から電磁波を発見しマルコーニが大西洋間のラジオ通信を成功させてから今日まで通信技術は日進月歩です。私が春風学寮の寮生時代、海外との連絡は往復二週間以上の航空便によるか高額の電話でした。今はラインで一斉に連絡できます。記録も残りますので、いかにも便利です。かつては情報の発信源は大手新聞であり放送会社でしたが、誰もが発信することができるようになり、情報源の独占やそれに伴う操作から解放されました。それにより政治や経済も大きな影響を受けるようになりました。ともあれ世界は瞬時の情報のやりとりにより、一言で言えばとても狭くなりました。聖書が言うように、隠されているものごとのうち露わにされないものが何もない、山のうえに建てられた街は隠されることができない、そのような透明な世界が到来するかのごとくです。

 この利便性の享受とともに、情報の信憑性等解決すべき課題も増えています。一つは「君の宝のあるところ、心もある」と聖書に語られるように、大切にしているもの、価値を置いているものに関心が集まりますので、今日ではその情報の収集は膨大になります。大事小事の判別ができないとき、情報が選別され意見が偏りがちとなります。異なる価値への関心が薄れまた敵対関係を加速することに繋がり、社会の分断が促進されています。常にいかなる意味においてその反対が真理であるかを吟味する必要があります。 価値の偏りはものの見方の偏見・バイアスとなり、そこから情報のフェイク(捏造)即ち偽りを生み出すことに繋がります。ここでは最初に偽りの問題を手掛かりにして偽りを克服する信・信仰について、その正しい信仰の対象と正しい信仰の在り方について考えたいと思います。

 

現代における偽りの形

 今日大学では自分の頭で理解しレポートや論文を書くのではなく、生成AI人工知能に書かせてしまうことが起きています。またAIは録音された声や画像をもとに、音声や動画を捏造することができます。これにより攻撃相手になりすまし人を貶め中傷することができると同時に、偽りの情報を拡散し、操作することもできます。何がフェイクで何が真実か判別しがたくなります。そのフェイクであったものが歴史を造りますので、それが歴史の真実となります。確かにこれまでも嘘が歴史の現実を造ってはきました。歴史の真相・真実と言いましても、偽りは大概の場合個人においても国家においても否定的、退廃的そして破壊的な現実をうみだしてきただけでありましょう。今回の大リーグの大谷選手と水原通訳の衝撃的事件は大きなレッスンです。虚偽、欺瞞、詐欺、誤魔化し、詐称、そして裏切り、その背後にある人間の悪、罪このようなものごとは人間関係や社会を劣化、破壊するだけであることを、歴史から学ぶことができます。ただ問題は真実を装うフェイクが巧妙なものとなり真理をさえ侵食し、偽りが勝利するように見え、今後ますます社会の混乱に拍車をかけるであろうことが容易に想像されます。

 わたしどもはこのような時代に生きているのです。雲が低くたれこんでいても、その空の向こうには太陽がさんさんと輝いているのです。真理よりも虚偽を、光よりも闇を好むのか、公平よりも自己利益を、正義よりも不正を好むのかが問われています。嘘はそれを隠すためにさらなる嘘を重ねることになります。偽りの上に建てられた人生は偽りであることになります。私どもの側からは自分で気づかず真実と思い込む「心からの嘘」をも含めて嘘偽りと戦い、真実や誠実を願い求めるかが問われています。

 心における偽りや偽善はいくつかの文脈で語られます。偽りは真理と戦うことであり、真理を隠すことです。真理を知っていながらそれを隠しつつ振る舞う時、即ち情念や欲望等により隠したい不透明な理由がある場合に偽りが生起します。また自分では気づかず反省が行き届かず、人前でそう見られたい自己と内面の自己のあいだに乖離があるとき、それも心の内面においては支配欲等二心、三つ心に支配されているとき、そこでの言葉や行いは偽りや偽善となります。その意味では「あのひとは真実なひとだ、真っすぐな人だ」という言葉は心が根底にある一つのものによって秩序づけられているここを意味しています。心の根底において人生を真実なものとして秩序づけるものは何でしょうか。これを共に探求しましょう。

 

知られているものと知られていないもののあいだにある人生

 わたしどもの人生とはこれまで培ったもの、知っているものと知らないものの間で、或いは知らされているものと知らされていないものの間で、この中間時において営まれる生命活動です。かつて生きてきた足跡は記憶により知っており、それらの経験をもとに人は自己についてまたそこに住む社会そして地球環境について信念体系を形成し培っています。普段そのうえで暮らしてきた大地や交通網、空、水などの存在を自明なものとみなしており疑うことはありません。それらの信念のもとに未知の世界に一歩を踏み出すこと、それが人生ということになります。頬が風にあたり抵抗を感じるのは、前進している証です。ひとは自らにとっての善、幸福を求める存在である限り、未来に開かれている様々な行為選択肢のうちそのつど最善の行為を選択しようとします。ひとは多くの場合、何かの為に何かを選択し生きています。その「何かの為」が善であり人生は目的論的な構造を持っています。「前へ進め、前へ進め、だけど前ってどっちだろう」。このような歌がありますように、人生には前進と後退があることを知ることが不可欠となります。かつてできなかったことができるようになること、かつて魅力的であったが、そこでのつまずきや失敗を通じて、異なる価値が見えてくること、そうして人生は構築されていきます。

 ニヒリズム(虚無主義)というものは、あるゆるものの価値は等価ないし無差異であり、人生には前進も後退もなく、善も悪もなく、一切は空の空である空しいという考えです。地球上から消えゆく運命にある人生は無意味なものであると考えることがあります。しかし、生物として臭ければそこから逃れ、飢えにより食を求める日々の行為がその虚無的な信念を裏切っています。生物は生存と繁栄を求めて生きるのです。この目的論的な構造のなかで人生に何か確かなもの、信じるに値するものがあるのかが問われています。愚かさなど理性の逸脱が狂信(fanaticism)を生み、恐怖など感情の逸脱が迷信(superstition)を生みます。誰もがこれまで培ってきた信念体系のもとに未来を切り開いていきますが、その信念体系を根底から秩序づける正しい信が不可欠となります。信じるべきものを信じる正しい信・信仰が生を秩序づけるからです

 宇宙が自然法則、ロゴス(理論)を持つように、人生は明確な理(ことわり)を持っているということを信じることは道理あるものです。ナザレのイエスは言いいます、「アザミからイチジクは取れない」。即ちイチジクがイチジクを生む、この生物が持つ複製機構(copying mechanism)の秩序正しさはアリストテレスによれば「最も自然的なこと」と特徴づけられています。ひとはこのように自然の中で秩序正しい生物として生きているのです。他方、それだけではなく人生は幸運や不運に見舞われ、自らのコントロールの外にあるように思えます。人間は人生の空しさを気分として感じうる即ち自らを外側から生命活動を眺めることのできるそのような恐らく唯一の理性的反省的生物として生きています。

 人生の空しさの気分や感覚は一方で空や海や日常的なものごとを自明なものとして看做しているからこそ、その信念体系を一旦離れて立つそのような視点から得られます。とはいえ、人生というフルタイムの仕事に従事している人間は人生の空しさ、無意味さを感じる抽象的視点に生物として立ち続けることはできないのです。日常の信念体系に戻っていきます。何か確かなものがあるのかという疑い自身が、なんとなく気分として感じる空しさから解放されたいという思い、確かなものがあれば理解したいし、できるという信念が背後で働いていることを示しています。確かなものを知るその可能性が一切ないことを知っていた場合、これはシシュポスの石転がしと呼ばれます。シシュポスは石を転がし山の頂上に辿りつこうとしますが、決まって最後のがけで突き落とされ、それを繰り返すことが人生だという理解です。人間がシシュポスであれば、そのような確かなものを求める不合理な反省や視点から解放されますが、幸運や不運に見舞われ知らされていない未来に開かれている人間にはその知は持ちえないのです。ひとは知と不知の接点に、中間に生きているのです。

 それに加え日常の信、フルタイムの仕事に戻らざるを得ない以上、どの地点に立つにしても信から逃れえないのです。開かれている未来に向かうひとは何らかの信念から逃れえない以上、正しい信にこそ立ち返るべきなのです。パウロは言います。「信に基づかないものごとはすべて罪である」。

 

正しい信仰の在り方としての幼子の信

人生の真実の探求を可能にする正しい信は聖書によれば幼子の信・信仰です。ナザレのイエスは自らを神の子であるという幼子の信のもとに、神の国の福音(即ちひとを偽りから解放し救いをもたらす神の力)として自分自身を信じ従うように教え、その言葉通りに行いにおいて父なる神に死に至るまで信の従順を貫きました。イエスにおいては宣教する者とされる者は同一なのです。彼は言います、「祝福されている、君たちの目と耳は、というのも君たちの目は見ておりまた耳は聞いているからだ。まことに私は君たちに言う、多くの預言者や義人は君たちが見ているものを見たかったが見ることができず、君たちが聞いていることを聞きたかったが聞けなかった」(Mat.13:17)。

 神の子が受肉し人となったなら、人類の救いはその人に依拠することになります。彼はまったく人として生き肉の弱さをかかえていましたが彼の前に開かれる最善の行為選択肢をその都度選択し、言葉と行いに偽りも乖離もありませんでした。それ故におのずと権威があり人々はついていきました。そして現在も彼こそまことの人であるとして、尊敬を集め従う者がやみません。イエスは言います、神が自然事象を介して善人にも悪人にも雨を降らせ、太陽を昇らせ、野の百合空の鳥を養い憐みをかけておられるように、幼子の信仰の持ち主は疑うことなく父なる神の恵み、無償の憐みを受ける、と。その幼子は生命をはぐくむ自然の恩恵の枠組みのもとにその枠への信頼のもとに生きているように、神の憐れみの枠組みのなかでその枠組みを意識しさえすることなく安心して天真爛漫に生きています。「幼子のように神の国を受け入れる者でなければ、決して神の国に入ることはできない」(Luk.18:17)。

 天の父の憐みへの幼子の信仰は、そこでは生物を養う太陽の陽光や雨が恩恵として、生の枠組みを形成しているように、人生の枠を形成しています。人間はその枠組みから離れうる反省的存在者ですが、通常生きているものの外部に立つとき生の空しさを感じる抽象的な反省的視点は生の大部分を自明なものとみなす信念体系に寄生していること、その前提のもとにあることを確認し、やはり、そこに戻っていくのです。日常的な生の枠組みを疑わないように、幼子は天の父の憐みを疑いません。ひとは正しい幼子の信を求めていると言えます。従いまして、空しさを感じるひとをはじめ疑うひとは、誰もが、たとえ表面上否定したとしても幼子でありたいと思っていることが明らかになります。ひとは半信半疑のうちにも、空しさによる虚無に安住できるそのような生物ではないと言えそうです。人生が知らされていない未来に開かれている限り、どのような新たな状況にも対応できる、そのような確かで憩うことができ満ち満ちて生きることのできる秩序ある信念体系を求めています。イエスは招きます、「疲れたる者、重荷を負う者、わたしのもとに来なさい。君たちを休ませてあげよう。わが軛を担ぎあげそしてわたし[の歩調]から学びなさい、わたしが柔和で謙(へりくだ)っていることを。君たちは君たちの魂に安息を見出すであろう。わが軛は良くわが荷は軽いからである」(Mat.11:28)。

 ひとは何らかの信念をもって生きていかざるをえない生物、存在者であるということは確かであり、人生がカオスではなく秩序ある理(ことわり)を持っていると信じることは、ひとが持つ魂の力能、可能性からみて道理あります。最終的には人間の本性として半信半疑のうちにではなく、秩序正しい生を可能にする確かなものへの正しい信を必要としており、その正しい信とは幼子のような信のことであると理解することは道理があります。聖書に「蛇の如く賢く鳩の如く素直」という言葉がありますが、幼子は騙されないように思えます。或る時6歳の娘が父親である私の傾向性を見て取っており、道徳的な善悪を直感とともにとっさに判断し言葉にしました。幼子が十分な認識能力をもっていることに私は驚きまた喜びました。

 他方、人は多くの場合半信半疑であり、信じつつ疑いつつ生きています。そのとき、鍵語、キーワードは「喜ばしい探求」です。疑いや恐れそして虚無主義にとらわれているとき、それは人間本性に適っていないのです。わたしどもを再び立ち上がらせ、力を与えるのは、人生には道、正しい法、真実、確かなものがあるに違いないというこの世界への信頼です。ソクラテスはその真理に痺れ、生涯あらゆるリスクを背負い、どんなコストがかかっても真理の探究に生を捧げました。それ故に周囲をシビレエイのように痺れさせ、人生の探求に共に向かいました。これは幼子の信仰と言えます。また、パスカルは「愛から遠ざかればすべてから遠ざかる」と言いました。「愛」とは何でしょうか。「すべて」とは何でしょうか。「すべてから遠ざかる」のであれば生きることそのものから遠ざかるでもありましょう。私どもは幼子のように直感的に何かこの言葉は正しいと思うのではないでしょうか。私どもは知らされているものと知らされていないもののあいだで、生きていきます。その生が喜ばしい探求であるその原動力は或る安定した枠のもとに世界が成り立っているという信頼であり、神様は陽光や慈雨のように恵み深いという幼子の信仰です。確かなものがあるという信こそ人生を喜ばしい探求とさせます。

 先日数人で映画「オッペンハイマー」を見に行きました。衝撃でした。そのあと、ドキュメンタリ映像で本人の言葉による「私は死である。世界の破壊者である」というヒンドゥー聖典のバガヴァットギータを引用しての彼の涙ながらの陰鬱な表情での告白を聞きました。そこに誇張や偽りを見出すことはできませんでした。地球の破壊者となってしまった自らの罪を担い背負っている姿が忘れられません。オッペンハイマーは水爆開発には道徳的理由で一貫して反対でありましたが、原子爆弾の1千倍の破壊力のある水爆が実現したとき、「核実験トリニティの翌日(1945年7月16日)に核戦争を抑止する国際的な組織を作らねばならなかった」という彼の言葉は「わたしの手は血にまみれている」という言葉と共に忘れられません。人類は神の栄光を顕すはずであった宇宙の創造の自然法則を知ってしまい地球を滅ぼすほどの核力摘出技術を生み出してしまいました。

 ただ、思うのです。オッペンハイマーの映画の中で、彼に対する人物評の表現として用いられたintegrity(高潔さ)、良心の鋭さは彼の深い精神性、人文学の素養から来ているのです。マンハッタン計画における核開発の責任者となった人が、水爆開発者として良心の痛みなきテラーやコンピューター開発者の数学的天才フォンノイマンでなくてよかったと思うのです。彼はことの重大性を、人類の運命の帰趨を認識していたのです。神様は知恵の実を食べ楽園を追放されたアダムの後継の役割を20世紀においてはオッペンハイマーに任せたのだと思うのです。私どもの心の働きである真理と虚偽をめぐる知性と善と悪をめぐる道徳、即ち認知的徳・卓越性と人格的徳・卓越性は軛で繋がれているのです。その軛は道徳的良心を発動させますが、そのなかで最善の行為選択肢を実践していくのです。神に似せて作られた心が持つ価値認識と真理の知識は軛で繋がれるべきものなのです。そのつどの今・ここで最善を識別し、遂行していくのです。パスカルは言います、「人間とは何という珍奇、妖怪、矛盾の主。宇宙の栄光にして宇宙の廃物、真理の受託者にして曖昧と誤謬のどぶ、愚鈍なるみみず、このもつれを誰が解くのか」。私どもは親ガチャのもとこの人生に投げ出されています。そしてそれぞれこの縺れをほどいていくのです。人生は人間の真実の探求です。この学生時代に、この若いときにこそ、自分が持っている信念を吟味しつつ、共に学び、切磋琢磨しあいましょう。

 

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3月1日(木)NHK岡山「三度の飯より〇〇!スペシャル2」で岡山出身の寮生が紹介されます。

岡山県出身の男子寮生Hさんは現在大学2年生、ロボットコンテストでの優勝を目指し、ロボットの製作に日々試行錯誤を重ねています。机上での理論を形にして動かして…何度トライアンドエラーを重ねたことでしょう。形にする段階での強力なパートナーが学寮備品の3Dプリンタ。

篤志家により寄贈されたこのプリンタは、理工学部で設計を学ぶ寮生、CADを使った授業を履修している寮生、自分の頭の中のイメージを形にしてみたい寮生たちに活用されています。

今回の番組は登戸学寮の紹介ではなく、ロボットコンテストに情熱を注いでいるHさんの生活の一端を紹介する趣旨ですが、NHK岡山の方がわざわざ機材を担いで登戸学寮まで取材、撮影に来られました。

リアルタイムの地上波では岡山地方のみの放送ですが、インターネット上ではNHKプラスやNHKオンデマンドで視聴できます。ぜひご覧ください。

NHK岡山 「三度の飯より〇〇!スペシャル2」 3月1日(金)午後7:57~午後8:22

https://www.nhk.jp/p/ts/ZNPN2M7VZJ/episode/te/RQWMV1LPN5/

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2023年度卒寮式が行われました

   2024年2月10日(土)午後2時~4時

 式次第

         司会 吉野泉

         奏楽 牧真人

  • 前奏

    讃美歌   440番 みかみのたまいし

    聖書朗読   詩篇139篇 1-12節  祈祷             

    挨拶        理事長 小島拓人

    来賓祝辞      監事 副島正人

              卒寮生 柴田真之介

    歌         井村咲月  “Amazing Grace” “Ave Verum Corpus”

    送辞        道下朱里 五十川大地

    式辞        寮長 千葉 惠

    歌         Caleb Davis  牧真人  “10000 Reasons”

    答辞        結城史音、温はんびっ 橿渕陸人 Seth Quant 中村真子  

               濃野開 水越創斗 川口陽久

    歌         田中音葉(元寮生) “ God Help the Outcasts” 

    讃美歌  405番 かみともにいまして

    祈祷        千葉 惠

    後奏 

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黒崎幸吉『新約聖書 ギリシャ語文典』

黒崎幸吉著『新約聖書 ギリシヤ語文典』は第一版1932(昭和7年)に刊行以来、第四版(1958(昭和33年)まで広く親しまれました。このたびWeb版が平栗彰氏により作成されました。このご労作に心から御礼を申し上げます。以下のボタンからダウンロードすることが出来ます。

登戸学寮 2023年11月28日

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第三回黒崎幸吉賞授賞式・講演会の録画をご視聴いただけます。

第三回黒崎幸吉賞授賞式・講演会の録画をご視聴いただけます。

ご視聴希望の方は登戸学寮 noborito@gakuryo.or.jp にご連絡ください。パスコードをお送りいたします。
2023年第三回黒崎賞、HCD 日付: 2023年11月25日  
https://us06web.zoom.us/rec/share/pFR7CUOcfVXrBe-6LjFIBTtntc0JeUNM1gZdW0OZlOr5KHPm3mbjCzqcGIcGrPQV.gRArZxPQ7EiAmRUo

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呉得榮氏が第三回黒崎幸吉賞授賞されました。

呉得榮氏が第三回黒崎幸吉賞授賞されました。1935年生 台湾高雄出身の呉氏は1964年、当時7回台湾伝道に従事した高橋三郎二代目登戸学寮寮長と知己を得て日本留学しました。内村鑑三の「初夢」に触発され、中国大陸さらにはシルクロード経由にてイスラム国家そしてイスラエルに至るまで福音を宣教することを自らの使命として、生涯を福音伝道に従事してこられました。ご講演は、まずご挨拶のヴィデオメッセージを寄せられ、続いて「余はなお途上にて」をご長男の聖民氏が代読されました。その生涯の一端を綴った「余はなお途上にて」は当日学寮に寄贈されましたご著書に掲載されました。一同神の僕として忠実に働いてこられた呉得榮氏の歩みに大いに励まされました。呉先生の歩みがますます祝福されますよう祈りをあわせました。

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第三回黒崎賞授賞式・講演会

第三回黒崎幸吉賞授賞式・講演会、HCDプログラム

登戸学寮 第三回「黒崎幸吉賞」授賞式・講演会

                         

日時:2022年11月26日(土)14:45~16:15 オンライン配信

プログラム

司会:千葉 惠  

奏楽:牧真人

讃美歌          130番(よろこべやたたえよよや)

聖書朗読         詩篇 100篇

開会の祈り        寮長   千葉 惠

挨拶           理事長  小島拓人

選考経緯経緯について   選考委員 千葉 惠

推薦の言葉 呉得榮氏     坂内宗男氏      

感謝・支援状授与(理事長)  

講演:呉得榮氏 ヴィデオメッセージ、「余はなお途上にて」(呉聖民氏代読)

 讃美歌讃美歌      531番番(こころのお琴に)

閉会の祈り        理事長 小島 拓人

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「登戸学寮ニュース15号」が刊行されました。

「登戸学寮ニュース」15号ご挨拶

 空の高さ、虫の音、風のそよぎにようやく秋を感じるこの頃です。皆様におかれましてはつつがなくお過ごしにていらっしゃいますように。常々学寮をお支えくださり、ありがとうございます。ここに学寮の近況や先輩たちのお働きなどをお分かちいたしたく学寮ニュース15号をお届けします。若者たちは元気にそれぞれ未知の世界に挑戦しています、ヒマラヤに至るまで。

 わたしども同時代を生きる者たちとして、この美しい惑星の「沸騰化」、「疫病」の恒常化、やまざる「戦争」等尋常ならざる、心をいつのまにか抑圧し意気阻喪させる自然、社会事象に囲まれています。他方、人々の生活はテクノロジーの日進月歩のただなかにあり、身体の拡張、補完機能BMI(Brain Machine Interface)の躍進により身体の様々な障害克服を可能にする未来に希望を抱かせています。とはいえ、その基礎にあるAI人工知能がこのまま進化を続け、この身体と心をもったホモサピエンスが彼らに隷属するに至るかが真剣に問われる時代に突入しています。

 こういう時代に私たちに浮足だたずに落ち着きを与えるもののひとつは自然の循環の恵みです。「鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレイン―夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ―のなかには、かぎりなくわたしたちを癒してくれるなにかがあるのです」(R.Carson)。四季の循環に身を置き日常を繰り返すことができること、それが恵であることをわたしどもはようやく秋がめぐってきたことの安堵のなかで確認しています。「肉の弱さ」、この弱い心と身体をもった人間にとって、自然の循環のもとに置かれていることは生命活動の基礎であることがわかります。生活のリズムを自然のリズムにあわせ営みうることに感謝します。

 もう一つは「明日のことを思い煩うな」との慰めを今こそ聞きます。一切を創造し一切を正確に知り、人類と宇宙の歴史をキリストにあって導いておられる万軍の主の憐みを信じるとき、そこには信に基づく義・罪の赦しが成り立ち、そしてその信義はその果実として愛を生む力強いものであることを知らされています。この憐み→信→義→愛の螺旋的ループ・循環の深化は確かなもののうえにわれらの生が築かれていることを確認させます。秋をむかえ、学寮に関わる皆々様のご平安とご健勝をお祈り申し上げます。

    2023年10月       

登戸学寮 理事長 小島拓人 

寮長  千葉 惠

 

 
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多摩川筏レースに三チーム参加

7月16日日曜日、快晴のなか多摩川筏レースに三チームが参加しました。
https://komae-ikadarace.ever.jp/about.html 

わが学寮からは自ら製造したタイタニック号、バルチック号それから4年前の先輩から受け継いだ朝風号の三艘が出場しました。勇敢で体力と知力溢れる寮生たちは浮力計算に始まり、部材の購入、製造、運搬そして数度の転覆練習を経て本番を迎えました。第一陣は第四レース、タイタニック号であり一年生男子四人が掛け声合わせて漕ぎ抜きました。それぞれ高校時代、将棋県優勝、サッカー県ベスト8、岩手のサックス奏者そしてフットサルキーパーの新造メンバーが奮闘し86チーム中30位でした。第六レースにおいて朝風号に学寮第二陣として颯爽と乗り込んだ女子三人はこれまで男子のなかにまじって何度も練習し、転覆の洗礼をも受けて晴れの舞台に立ちました。宮崎の陸上部マネ、子供学習支援に情熱もやす教育学専攻そして精密で雄大な絵を描く生物専攻の三女子は漕ぎ抜き39位でした。他の筏をかわす動画をご覧あれ。第八レースはリーダーの情熱にほだされ参入した学寮精鋭部隊の出場でした。ラグビー選手、元茅葺職人、元軍人、マリンスポーツ達人そしてフルマラソンとロボコン文武両道の五人がバルチック号で優勝をめざしました。惜しくも全体9位でした。激しいロケットスタートご覧あれ。爽快な夏の一日でした。
























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第三回黒崎幸吉賞推薦のお願い

第三回「黒崎幸吉賞」の候補者推薦をお願いいたします。
推薦者は、当寮出身者、寮長・役員経験者および当寮の設立の趣旨を理解する方とします。候補者の対象は、当寮設立の趣旨に照らし次のような方を対象とします。


例1   当寮在籍経験者であり、社会活動・芸術文化等の分野で活躍している方、または活躍が期待される方
例2    当寮の設立の理念を理解し、当寮を支援してこられた方

なお、これまで候補者として挙がった方も適当であれば今回の対象とします。
推薦方法については、所定の推薦書(こちらからダウンロード)により、メール添付または登戸学寮千葉惠宛てに一部送付願います。参考資料などは説明を付け推薦書に同封してください(書類一式は返却いたしません)。

締め切り :

2023年6月30日(候補者の絞り込みのための一次締め切り)

2023年8月31日(候補者の同意を得た上、二次締め切り) 

問い合せ: <mailto:noborito@gakuryo.or.jp> noborito@gakuryo.or.jp   ☎ 044-933-0819

 

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2023年度入寮式

入寮式

登戸学寮

  2023年4月8日

司会 濃野 開

前奏

讃美歌     270番

聖書朗読    詩編1篇

祈祷   

挨拶      理事長 小島拓人

祝辞      理事 福嶋美佐子

歓迎の言葉   寮生  川口陽久

            中村真子

歌唱    井村咲月 「花」武島羽衣作詞 瀧廉太郎作曲

新入寮生スピーチ 

 石井裕人、海老原薫、大友康、金城明樹、佐々木拓海

須貝真琴、関島樹、高田聖也、龍野実咲、野田明伸

浜崎航希、松井はんな

式辞      寮長 千葉惠

讃美歌     158番

祈祷   

後奏

記念写真撮影

登戸学寮入寮式挨拶

                          小島拓人               

・皆さん今日は! 理事長の小島拓人です。

・今年の4月からの新入寮生は12名です。今年は男子寮24室が満室になりましたが、これはここ十年間なかったことです。新入寮生の皆さん、それぞれの大学への入学、あるいは登戸学寮への入寮おめでとうございます。またオンラインでご参加頂いている何組ものご家族の方々にもお祝いの言葉を述べさせて頂きます。

・このところ新型コロナウィルス問題で大学キャンパスも様々な制約を受けましたが、やっと入学式や授業等は制約もなく行われるようになったのでしょうか。登戸学寮も新入寮生が揃った入寮式の開催が出来ますことは先ずは大変喜ばしいことであります。

・過去3年間の新型コロナウィルス問題で人と人の接触が様々な形で制約される大学のキャンパス生活でありましたが、それは人と人が直接触れあうことの価値を再発見する機会でもありました。そしてそのキャンパス外での人と人が直接触れあう共同生活を行う場が登戸学寮です。

・その登戸学寮ですが、今から65年前の1958年に創立者黒崎幸吉先生によって設立されました。聖書にある「汝ら、若き日にその創造主を憶えよ」という精神的指針の下に設立されました。登戸学寮は聖書の学びを基本にキャンパス外での共同生活を重視するものでありますが、社会に於けるその存在価値は65年後の今日も設立当初のそれに勝るとも劣らぬものであると認識いたしております。そしてその登戸学寮は寮生の寮内での共同生活以外にも寮外での様々な活動を支援するプログラムも計画しております。一例を挙げますと国際学会での研究発表の支援をしており、それを契機に欧州の大学に留学されそのまま現地で活躍されている寮生OBがおります。また、日本の伝統工芸を調査してその復興を試みる寮生もいました。登戸学寮はこうした寮外活動も大いに支援しておりますので、皆さん千葉寮長ご夫妻の指導の下、こうした共同生活のプログラムも大いにご活用頂きたく思います。

・今日の社会は日本も世界もこの3年間は新型コロナウイルス災禍に振り回されてきました。そしてこの一年間、ロシアのウクライナ侵攻で、世界は大きく揺れ動き、今日は世界史に大きな時代の転換期が予見されている難しい時代です。そうした中でも、春の到来とともに学寮は今年も新入寮生を迎える季節となり、学寮は皆さんと共に今年も新しい歩みを始めます。「揺れども沈まぬ」というのはフランスのパリ市の歴史を経たモットーだそうですが、世界がどの様に揺れ動いている中にあっても登戸学寮の存在意義は不動であります。「世界は揺れども登戸学寮は沈まぬ」という希望の下に登戸学寮は新入寮生を迎えて新年度を始めたく思う次第であります。

・今年の入寮式の開催にあたり、改めて皆さんの入寮をお祝いし、歓迎と期待のことばを申し上げて私の挨拶とさせて頂きます。

・皆さん入寮おめでとうございます。

入寮式祝辞

福嶋 美佐子 

新入寮生のみなさん、ならびにご家族のみなさま、ご入寮おめでとうございます。私は、大学でキャリア教育を担当する教員です。実は私自身も、新しい職場にワクワクしながら通い始めている新入生です。

 先程、初めて聖書を読み、讃美歌を歌った新入寮生もいると思います。しかし、決して「クリスチャンになりなさい」ということではありませんので、安心してください。それは神さまがお決めになることで、私たちが思い煩う必要なないのです。しかしながら、教養としてキリスト教を知っておくことは、絶対に得です。例えば、なぜ1週間は7日で、日曜日はお休みなのでしょう。それは、旧約聖書の冒頭に書かれています。また、明日はイースターですが、アメリカのホワイトハウスでは毎年エッグハントという卵探しゲームが行われ、全世界にニュースが配信されます。イースターについては新約聖書にイエス・キリストの生涯が描かれていますので、それを知ればエッグハントにも納得できます。このように、キリスト教を知ることで、世界中の人たちと仲良くなるための基礎を作ることができます。

 私は、世界中の人と仲良くするにはどうしたらよいか、を考える研究者です。“Diversity, Equity & Inclusion”、日本語に訳すと「多様性、公正、受容」を専門としています。そのような立場から、登戸学寮における多様性をご紹介します。この登戸学寮には新入寮生12名を含め37名の寮生がいますが、所属する大学は20以上にのぼります。しかも、自然科学を学ぶ寮生や人文・社会科学を学ぶ寮生もいれば、芸術家や宗教家の卵もいます。一つのキャンパスにこれら全ての分野を備えている大学はないでしょうから、どの大学よりも豊かな才能が集まっていると言えます。また、国籍も様々ですので、インターナショナルでもあります。このような横のつながりから、大学の中だけでは得られない刺激を受けることでしょう。

 登戸学寮には縦のつながりもあります。先輩です。学寮内には、様々な特技を持つ先輩がいますので、レポートの書き方やアルバイトの見つけ方など、学生生活で困ったことは何でも相談できます。もちろん、寮長は大学教授をなさっていた方ですので、寮長ご夫妻にも頼れます。頼れる先輩は学寮内だけではありません。今年で65周年を迎える登戸学寮は、みなさんからいただく寮費だけでなく、大先輩を中心とした多くの方からの寄付金で運営されています。そのような資金は、みなさんの学びを支えています。例えば、様々な活動を応援する「寮生活動支援制度」です。この1~2年を振り返ると、海外での学術学会発表や短期留学の費用の一部に充てた寮生がいました。身体障害者の疑似体験を通じて感性を研ぎ澄ます施設への寮生ツアーを企画し、交通費や入場料を申請した寮生もいました。あるいは、学寮内で読む書籍の購入を希望している寮生もいます。ぜひ、積極的に活用してください。

資金面だけでなく、先輩自身がみなさんのために時間を割いてくださることもあります。例えば、季節ごとに開催されるキャリアフォーラムです。様々な分野で活躍される、みなさんより少しだけ年上の先輩の経験を伺うことで、どのように学生生活を送るか、その後の就職を含めた人生設計をどのようにするかを考えるきっかけになると思います。

 ところで、みなさんは「イノベーション」という言葉を聞いたことがありますか。100年ほど前のシュンペーターという経済学者による理論です。イノベーションとはゼロから何かを生み出すことと思われがちですが、シュンペーターは「既にあるものとあるものを組み合わせることによって新しい物や仕組みが生み出されること」と定義しています。ですから、初めは「新結合」と呼ばれていました。みなさんも、この学寮での生活を通じて、横のつながり、縦のつながりを最大限に活かして自分の中にイノベーションを興しましょう。そうすることで、卒寮する頃には誰にもまねのできないユニークな存在になっているはずです。登戸学寮を支える大勢の方が、みなさんを応援します。私も全力で応援します。

 

入寮式式辞

                                  千葉 惠 

 入寮なさった12人の皆さん、おめでとうございます。新しい環境での新しい生活、希望ととまどい、少しの不安を抱きながらも出会いを楽しんでおられることでしょう。何かのご縁です、三十七人の共同生活による学寮の新たな船出、Welcome on board、心から歓迎します。21世紀に入り、四半世紀が経とうとしています。ここでは現代社会を特徴づける情報革命が作る社会と学寮の創立精神であるキリスト教の関係について共に考えてみたいと思います。日進月歩の変化の時代にあって変わらないものに思いを馳せ、わたしどもの共同生活における一つの挑戦を明確にしたいと思います。皆でこの方舟の正しい進路を見定め、漕ぎ出してまいりましょう。

最初に聖書の言葉を皆さんにプレゼントします。詩篇139篇

 主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計(はか)らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。わたしの舌がまだ一言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる。前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置いてくださる。その驚くべき知識はわたしを超え、あまりにも高くて到達できない。どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府(よみ)に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも、あなたはそこにいまし、御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる(Ps.139:1-10)。

 2000年以上前のイスラエルの詩人によって永遠の現在にいまし働いています全知、全能の神への認識、賛美を皆さんがどのように受け止めるかはお任せします。ここでは眼差しを地に向けます。君たちは21世紀になってからのお誕生であり、IT nativeと呼ばれる世代です。生まれながらにインターネットに繋がれたインフラのもとで生活を始めました。19世紀の産業革命は生産性を著しく向上させ、1820年頃の経済成長の大爆発以来人々は一貫して豊かになり続けています。ここで経済的な豊かさの指標を考えてみますと、例えば人口の100パーセントが農業や漁業等狩猟に従事している世界を想定してみましょう。そこではすべてのひとが食べるために働いており生存ギリギリの状況におかれているとことを意味しています。そしてそのような時代が長かったのです。産業革命が生起し、工業化による分業のもと労働の効率化、大量生産がもたらされ、或る人々は様々な製品に囲まれまた余暇を持ち、スポーツや芸術、学生等自らの関心や趣味に即して快適に時間を費やすことができるようになりました。それが経済的な豊かさです。私どもは人類史上最も豊かな時代におり、ルイ14世も享受できなかった料理を食べ、医療を受け、多様な夢、目標に囲まれています。

 20世紀後半には皆さんご存じの情報革命が生起しました。この科学技術の革命的な進化は世界中を瞬時に繋ぎ、わたしどもの政治経済、社会そして仕事、遊び、買い物にいたるまで人々の繋がりの様式を一変させました。わたしどもはこの革命の渦の中にいやおうなしに巻き込まれ、SNS等この情報社会の枠組みのもとで生活が営まれています。この人類の知性の勝利とでもいうべき革命は生活のすみずみまで恩恵を注ぎました。一例を挙げるのをお許しください。1985年に私は鞄ひとつもって誰ひとり知る人のないイギリスに哲学の修行にゆきました。達磨が壁に面して座り続けたように「面壁十年」と師匠から励まされ、友人からは「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」という歌により送り出されました。君たちもこの歌にあるようにちょうちょうが一匹ひらひらと荒海の韃靼海峡をわたっていくそのような心細い状況に今の自分を重ねているかもしれません。五年の留学の長い話は省略しますが、当時わたしはタイプライターを使っておりました。しかしPCつまり文字通りパーソナルなコンピューターと呼ばれる学生でも手に入れることのできる論文執筆の道具を得ました。Cut and Pasteとか上書きoverwriteとかその他論文執筆に革命的な進歩をもたらしました。タイプライターを使っていたら博士論文執筆に10年はかかったであろうと思います。効率的なまた戦争のない時代、庶民でも留学できる良い時代に生まれたたことを感謝しました。これは一例にすぎません。生物としての人間の分子レヴェルにおける解明が医学に長足の進歩をもたらし、不治の病を癒してきました。三年苦しんだコロナウィルスによる感染症も収束をむかえています。科学技術、医術が農業や工業、流通その他の進歩を伴い現在この惑星に80億の人々が暮らしております。これは人類の一つの勝利であると思います。

産業革命とそれに続く情報革命、この人類史未踏の成就、特筆すべき勝利は、他方、動物としての身体を抱える生身の人間とその身体性を軽視させ損なわせるほどの過度の情報処理の日々が全体としての人間性を蝕んでいるのではないか、この人類は持続可能なのか新たな課題をつきつけています。AI(人工知能)は情報処理速度において人間の能力を超えています。ChatGPTとその進化系は政策立案から学術論文まで代わって書いてくれるということです。人類は自らの知性が作った人工物の知性の奴隷と化するのかが問われています。このような知性の革命のなかで変わらないものとして、ひとは社会のなかで他者と共に生きており、誠実や信頼、正義そして愛など心魂の善と悪の態勢にかかわる道徳的存在者であり続けます。AIによる情報処理の量が膨大になるとき、認識や判断の質も改善するか例えばより良い法律が発布され正しい人間を作るかは一つの問です。AIは倫理的問をこれまでの人類の経験をもとにして普遍的な次元或いはその事例において認知的に処理することでしょう。他方AIはそれ自身としては倫理的問題を抱え、人格的に良心の咎めに苦しむことはありません。

われわれ人類にこそ真理と偽りに関わる知性と善と悪の価値に関わる人格の綜合が問われているのです。一方明晰な知性の働きがものごとの本質を見究めさせ、他方人格が陶冶されたか否かはバランスの取れた感情の生起や公平な行為の選択において証明されます。自分を勘定にいれずによく見聞きし分かり、そして忘れず、広い視野と遠大な構想の中でその都度行為を選択していきます。君たちはその修行の時代として青春をこの学寮で過ごすのです。

  IT革命がもたらした人間の可能性は仮想空間をもたらし、人間の空想や創造性を飛翔させます。現代の課題の一つは、かつては私どもの頭脳の思考に基づく文章や絵画のなかにあった仮想的現実(Virtual reality)が技術により二次元、三次元さらには多次元なものとして映像により提示されたり、何らか実現されるに至っています。ユヴァル・ノア・ハラリは人間が神になる可能性を論じた『ホモデウス』のなかでこう言います。「たとえ私たちが生きているうちに不死を達成できなくても、死との戦いは今後一世紀間の最重要プロジェクトとなる可能性が依然として高い。人命は神聖であるという私たちの信念を踏まえ、そこに科学界の主流のダイナミクス(力動性)を加味し、資本主義経済の必要性まで合わせれば、死との執拗な戦いは避けられないように見える」(上p.41柴田裕之訳)。自らの分身アバターが仮想空間で不死身であるとか多様な経験をするなど現実世界と仮想世界の境界がますます判別不明なものになってきています。現実には生じ難い世界の経験はそこから戻った現実世界を豊かにし充実させることもありましょう。或いはその頽落・堕落形態として、現実世界を引き受けることをせず仮想世界に逃避することもありましょう。

「現実」という言葉により二つのことを、一つにはそのもとに生が営まれる与件のことをまたその与件のもとで培ってきた各人の知性や人格の実力、現在地点のことを理解します。与件Givenとは選択できず与えられた特徴や制約、時代状況等を意味しています。例えば家族構成とか身体つきとか出身地等、自らの現実を構成しているものです。その現実に対する受け止めはひとにより異なり、家族や周囲への感謝とともに、或いは自らの運命の嘆きとともに受け止めるひともいましょう。もうひとつはこれまで培ってきた自らの心魂の認知的態勢、人格的態勢、実力のことを理解します。有徳なひともいれば悪徳なひともいます。これは各自の責任のもとに培われた心魂の態勢のことです。これら与件や態勢の特徴や制約のもとでこれからの自らの生を責任をもって構築するために、他の誰かや社会のせいにすることなく、自らの現在地点を正面から引き受ける覚悟が求められます。変えることの出来ない現実は受容し、変革しうるまたすべき現実は勇気を以て変革していきます。

人生には従来「通過儀礼」と呼ばれてきたものがあり、江戸時代では十代半ばで元服し或いは嫁ぎなどし、年齢にふさわしい通過儀礼を適切に乗り越えることがもとめられます。大学受験は現代の通過儀礼の一つであると言えましょう。日本の教育システムのなかで受験は君たちにとってのっぴきならない現実であったことでありましょう。それを通過し晴れて君たちはここにいます。この与件と態勢のもとに自らの人生を構築していきます。受験から解放され、主観的にはのっぴきならないものが何もないとしたなら、その状況が客観的にはのっぴきならない現実であると言えます。高校までの教育においてはせいぜい100点しかとらせてもらえなかった世界にいましたが、そこから今度は自ら問を立て正解を探求する日々にかわります。探求対象は自然に書き込まれた法則というテクストであったり、聖書等の人間を超えるものについての証言として書かれたテクストであったり、社会のしくみ(制度、法律)というテクストであったりします。これらのテクスト即ちものごとの理(ことわり)が探求されます。わたしどもは真理の大海原の前に立っています。喜ばしい探求に船出するのです。この学寮では人間であることの真実を探求したいと思います。

かくして、現実世界と仮想世界双方をまたこれまでの人生と構想されている未来を媒介し統一するものが求められています。各人がこの身体をかかえており、この時空のなかで営まれる自らのリアルな・実際の人生を通じて、ものごとの理を見究める認知的な能力と身体において他者と交わるさいに課題となる人格的な能力を統一する生の原理を見つけていくことが求められています。というのも、基軸はあくまでもこの一回限りの時空に生きる各人の私である限り、一方現実への過度の埋没は視野を狭くするでしょうし、他方仮想世界への逃避や依存は、自己の分裂を引き起こし堅固な自己同一性を失わせるからです。この自己はどこでその分裂が癒され自己自身との一致において満ち満ちて生きるのか、その心魂(こころ)の場はどこまでも問われ、探求されます。学寮はこの分裂を癒し一致をもたらす媒介者はまことの人にしてまことの神の子であるイエス・キリストであると信じてきました。

仮想世界に逃れ目先の楽しいものごとを追求するとき、それは分裂を忘れさせる気晴らしと位置付けられます。聖書は目に見えない天使や聖霊を語る一つの仮想世界と言えます。しかしそれは空想ではありません、神の意志が歴史に刻まれている限り。なお、受け取る側として誰もが神的なものに反応しうる心魂の能力が与えられているという前提のもとに聖書は議論を展開しています。身体の底にある「内なる人」と呼ばれる心の部位は神的な促しに反応し「神の意志」等を知る「叡知ヌース」と聖霊を受領する「霊プネウマ」によりその都度構成されます(Rom.7:24,2Cor.4:16))。信により開かれる心魂の根底・二番底における今・ここの働きこそ、パウロの言う「身体は罪のゆえに死であるが、霊は義の故に生であって、死すべき身体をも生かす」内的統一を可能にします。(Rom.8:10)。「たとえわたしたちの外なる人は衰えていくとしても、わたしたちの内なるひとは日々新たにされていきます」(2Cor.4:16)。この内的生命の横溢は信仰の果実であると同時に信仰への贈りものなのです。魂における信の根源性を探求したいと思います。

 神はご自身に似せて人間を創造されたと聖書にありますが、詩篇の詩人はこう賛美します。「あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは。神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせ、御手によって造られたものをすべて治めるようにその足もとに置かれました」(Ps.8:4-7)。詩人は問い求めています、人間は何ものなのかと。神は知性を持つ者として人間を創造し宇宙の法則・理(ことわり、ロゴス)を伝授しまた生物を治めるよう栄光を与えてくださいました。詩人はこの神に賛美を帰しています。パスカルも驚きのなかでこう言います。「人間とは何という怪物、何という珍奇、妖怪、混沌、矛盾の主、何という驚異。・・真理の受託者にして、曖昧と誤謬のドブ、宇宙の栄光にして、宇宙の廃物。この縺れを誰が解くのか」(『パンセ』434)。わたしどもは宇宙の栄光であり曖昧と誤謬のドブです。私たちはこの興味深い世界に生を与えられたこと、それぞれの現実を正面から引き受けて驚異すべき人間として生きていることそのものの喜びのなかで、人間であることの縺れを解いていきたい。共同に人間の探求をすすめていきたいと思います。

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わかれと出会いの季節

 わかれと出会いの季節

 「みよ、冬すでに過ぎ雨もやみてはやさりぬ、もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさへづる時すでに至れり」(雅歌2:11-12)。

 枡形山には桜咲き、別れと出会いの季節が再び巡っています。早春の輝きのなか学士二人、修士二人の前途を祝しつつ、讃美歌「また会う日まで」により社会に送り出しました。今希望に胸膨らませる12人の若者たちを迎えいれ、この方舟は、内外波高い大海原に帆を一杯に膨らませ38人と共に新たな航海に漕ぎ出します。

昨秋、黒崎賞授賞式・講演会において、地元山口にて教育と伝道に捧げ平和の種を蒔き続ける岡崎新太郎氏、世銀の責任ある立場で途上国の貧困解消に献身する吉野裕氏、お二人の歩みに触れることができました。「地の塩、世の光とはまさにこのことではないか」という或る方の感想が会の祝福とOne Bodyへの励ましを物語っています。一同栄光を帰しました。

若者たちはコロナから解き放たれ、国際学会発表、フルマラソン完走、岩山の垂直登攀、120人の吹奏楽団を伴ってのトランペット演奏、教会堂に響き渡るパイプオルガンによるバッハ演奏、短期留学そして就活やバイト等に青春を燃焼させています。活動は学寮HPにて「方舟」、「学寮ニュース」で閲覧いただけます。

新しい日々、福音にその都度立ち帰り、信に基づく義とその「義の果実」である愛へのあの光の真っ直ぐな一本道を仰ぎ見ます(ピリピ1:11)。この光の一本道を歩んでこられた学寮歴代の指導者、先輩、支援者の方々および各地で我が子の幸いを祈る親御さんの愛に思いを馳せ、心を新たにして迎える春です。「愛は不作法をせず、おのれの利を求めず、いらだたず、悪を数えない」(1コリント13:5)(3月29日改訂)。

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卒寮式が執り行われました

2022年度卒寮式式次第

                                    2023年2月11日 

                                    登戸学寮午後2時

                                    司会 原島寛之

                                    奏楽 千葉美佐子

前奏

讃美歌 440番 (みかみのたまいし)

聖書朗読 詩篇46篇

祈祷                                   結城史音

挨拶                                   小島拓人理事長

来賓祝辞                                 黒崎稔様

贈る言葉                                 結城史音、温ハンビッ、

谷口舞、岩田光法

送辞                                    千葉惠

贈る歌 嵐「カイト」                            井村咲月

答辞                                    伊藤直道

                                      柴田真之介

                                      趙 顕建

                                      松井共生

讃美歌 405番 (かみともにいまして)

祈祷                                    千葉 惠

後奏

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「方舟」63号が刊行されました

『方舟』63号送付のご挨拶

 「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」(イザヤ書2:4-5)。

 厳寒の候、皆々様におかれましてはつつがなくおすごしのことと存じます。日頃、登戸学寮にお心をお留下さりありがとうございます。ここに一年の学寮の活動を報告すべく、『方舟』63号をお届いたします。若者たちの現在地点のご報告、黒崎賞講演など先輩方の諸活動のご報告、寄付者ご芳名、創立以来の役員情報(抜)および氏名一覧、聖書講義等を掲載しております。厚くなってしまいましたが、「新しい戦前」と呼ばれる時代の緊迫に免じておゆるしくださいますように。

若者たちはこの時代にあって社会のなかで自らの歩みを模索しています。情報社会の嵐の中、自らを内省する機会の少ない現代にあって、コスパ(cost performance)、タイパ(time performance)と呼ばれる自らの投資への短期的な見返りを求める風潮は黒崎先生の「日本の将来に憂うべき影響」を、南原繁先生の「精神の貧困」を表しているでもありましょう。

わたしどもは次の世代を若者に託すしかなく、やはり、ここでの喫緊の課題は魂の耕作(cultus animi)が問われているのだと思います。学寮創立の福音に立ち帰り、悔い改めによる魂の刷新を頂き真っすぐな道を歩みたいと存じます。罪赦されたことの証は、自らの涙でイエスの足を洗う女性に見いだされます。イエスは言います、「彼女の多くの罪は赦されてしまっている、というのも彼女は多く愛したからである」(ルカ福音書7:47)。信に基づく正義とその信義の「果実」(ピリピ書1:11)は愛しうることですので、自らの罪が「赦されてしまっている」ことの証は愛することに確認されます。「木はその果実によって知られる」。罪の赦しは神の前のことがら、神の専決行為ですが、この歴史におけるその証は愛しうることでありますなら、わたしどもは歯を食いしばって敵をも愛することでありましょう。

旧約の古い革袋を破るイエスの山上の説教は、その厳しい言葉を自らの信の従順による完遂故に、福音の革袋である信の律法のもとで愛の戒めに収斂、変換されています。わたしどもは「[業の]律法を離れて」(ローマ書3:21)、即ちモーセの古い革袋から解放されて、新約の革袋のなかで生命の泉に与ることでありましょう。時代が厳しくなるほど、この端的な生命の泉を渇き求めます。信義に基づき愛しうること、そこに生命の泉が湧いています。

 2023年はいかなる日々となるか不透明です。戦争下、コロナ禍の国際、国内情勢は政治や経済の予測を困難なものにしております。そのなかにあっても、常に目覚め、前進してまいりたいと存じます。天来のきよらかな生命の息吹につつまれ、新しい日々お健やかに実り豊かにお過ごしになられますようお祈り申し上げます。

                        2023年1月31日

                      登戸学寮 寮長 千葉 惠

方舟63号刊行されました。以下のリンクよりダウンロード出来ます。(サイズが大きいので少々時間かかります)

『方舟』63号送付のご挨拶

 「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」(イザヤ書2:4-5)。

 厳寒の候、皆々様におかれましてはつつがなくおすごしのことと存じます。日頃、登戸学寮にお心をお留下さりありがとうございます。ここに一年の学寮の活動を報告すべく、『方舟』63号をお届いたします。若者たちの現在地点のご報告、黒崎賞講演など先輩方の諸活動のご報告、寄付者ご芳名、創立以来の役員情報(抜)および氏名一覧、聖書講義等を掲載しております。厚くなってしまいましたが、「新しい戦前」と呼ばれる時代の緊迫に免じておゆるしくださいますように。

若者たちはこの時代にあって社会のなかで自らの歩みを模索しています。情報社会の嵐の中、自らを内省する機会の少ない現代にあって、コスパ(cost performance)、タイパ(time performance)と呼ばれる自らの投資への短期的な見返りを求める風潮は黒崎先生の「日本の将来に憂うべき影響」を、南原繁先生の「精神の貧困」を表しているでもありましょう。

わたしどもは次の世代を若者に託すしかなく、やはり、ここでの喫緊の課題は魂の耕作(cultus animi)が問われているのだと思います。学寮創立の福音に立ち帰り、悔い改めによる魂の刷新を頂き真っすぐな道を歩みたいと存じます。罪赦されたことの証は、自らの涙でイエスの足を洗う女性に見いだされます。イエスは言います、「彼女の多くの罪は赦されてしまっている、というのも彼女は多く愛したからである」(ルカ福音書7:47)。信に基づく正義とその信義の「果実」(ピリピ書1:11)は愛しうることですので、自らの罪が「赦されてしまっている」ことの証は愛することに確認されます。「木はその果実によって知られる」。罪の赦しは神の前のことがら、神の専決行為ですが、この歴史におけるその証は愛しうることでありますなら、わたしどもは歯を食いしばって敵をも愛することでありましょう。

旧約の古い革袋を破るイエスの山上の説教は、その厳しい言葉を自らの信の従順による完遂故に、福音の革袋である信の律法のもとで愛の戒めに収斂、変換されています。わたしどもは「[業の]律法を離れて」(ローマ書3:21)、即ちモーセの古い革袋から解放されて、新約の革袋のなかで生命の泉に与ることでありましょう。時代が厳しくなるほど、この端的な生命の泉を渇き求めます。信義に基づき愛しうること、そこに生命の泉が湧いています。

 2023年はいかなる日々となるか不透明です。戦争下、コロナ禍の国際、国内情勢は政治や経済の予測を困難なものにしております。そのなかにあっても、常に目覚め、前進してまいりたいと存じます。天来のきよらかな生命の息吹につつまれ、新しい日々お健やかに実り豊かにお過ごしになられますようお祈り申し上げます。

                        2023年1月31日

                      登戸学寮 寮長 千葉 惠

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「今井館ニュース」54号寄稿しました

登戸学寮

 枡形山は空、風、色に秋を感じます。内外厳しい日々学寮は護られています。朝礼拝は「使徒言行録」です。不思議な業を伴い信仰が燎原の火のように地中海世界に伝っていきます。今日なぜ奇跡が起きないのかの問いには、ペテロの力を買おうとした魔術師シモンの態度がそれをよく説明しています。「神の賜物を金で手に入れられると思っている。お前の心は神の前に正しくない」(8:20)。イエスはただ憐みにより癒しの力を揮いました。「愛を介して働いている信が力強い」(Gal.5:6)。信に基づく義そして「義の果実」である愛への道だけが神に嘉みされます。一方で医療の進展等により当時以上の不思議な善き働きがなされる現代、他方で権力者による武力の行使等、力を愛以外の用途に行使する事例は枚挙に暇ありません。

 この秋、黒崎賞講演会において途上国在住で経済政策による支援に従事する先輩と教育、伝道に従事する先輩に講演頂きます。来寮の先輩に南原繁『国家と宗教』を指南頂くべく読書会中です。歴史は「神の国」と「地の国」の緊張のなか「必然的に」展開されると南原史観にあります。国家は、モーセ律法が福音を準備したように、自律の範囲内で生命を生みやすい自由と秩序の基盤を立法します。「生命は制度を生むが、制度は生命を生まない」(内村鑑三)。パウロは言います、「希望の神が、汝ら聖霊の力能のなかで希望に満ち溢れるべく、汝らを信じることにおけるあらゆる喜びと平安で満たしたまうように」(Rom.15:13)。この喜びが神の国の待望のもと、愛の働きを介して証を立てる力となります。先輩方の地の塩世の光の証に学び、乗り合わせた一つの体としての学寮がノアの方舟よろしく真っすぐに航海する励まし合いの場となりますよう祈る日々です。

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第二回黒崎幸吉賞授賞式・講演会(講師紹介)、HCDプログラム

2022年11月26日(土曜日)午後2時45分~4時15分、4時半~6時
参加希望の方は学寮に連絡ください(044-933-0819 noborito@gakuryo.or.jp)。


登戸学寮 第二回「黒崎幸吉賞」授賞式・講演会

日時:2022年11月26日(土)14:45~16:15 オンライン配信

プログラム

司会:千葉 惠

  • 讃美歌 7番(主のみいつとさかえ)

  • 聖書朗読 詩篇 100篇

  • 開会の祈り 寮長 千葉 惠

  • 挨拶 理事長 小島拓人

  • 選考について 選考委員 理事 福嶋美佐子

  • 感謝・支援状授与         理事長 小島拓人

  • 岡崎新太郎氏(1968入寮)、吉野 裕氏(1990 入寮)

  • 推薦の言葉 岡崎新太郎氏       監事 副島 浩

  • 講演:岡崎新太郎氏 「近き隣人と遠き隣人」

  • 推薦の言葉 吉野 裕氏        評議員 安達寿彦

  • 講演:吉野 裕氏 「途上国の貧困と経済成長―支援の現場から―」

  • 閉会の祈り             理事長 小島 拓人

  • 受賞者・講演者 紹介

    • 岡崎新太郎氏

      • 山口県豊北町出身 1945年12月28日生

      • 地域(下関市)に根ざした教育、伝道、奉仕諸活動

      • 学生生活

        • 1965年4月 東京大学理I入学

        • 1968年1月 登戸学寮入寮

        • 「方舟」10号「言葉」昭和43年9月、11号「思う事」昭和44年9月、12号「詩」昭和45年10月寄稿

        • 1971年3月まで在寮

        • 1975年3月同大学工学部建築学科卒

      • 社会人生活

        • 1975-1981年建設会社・建築設計事務所勤務

        • 1981―2011年キリスト教梅光学院勤務

          • 設計事務所在籍中、当時の梅光学院中高校長に請われ学園に教師として赴任(数学、理科、キリス
            ト教倫理)

          • 中学校長、高校校長、学院長、幼稚園長歴任

        • 2011年―現在 宣教活動

          • BIC(日本キリスト兄弟団)信徒牧師

          • 過疎化の中、アジア在留者との交流

        • 地域奉仕活動

          • 下関北高地域探求授業サポート

          • 有機農業

          • ホームスクーリング

          • 地域アート演劇

        • その他

          • 東日本大震災ボランティア活動

          • 曽田タキ(韓国ソウルで韓国孤児に仕えた)研究

    • 吉野 裕氏

      • 静岡県静岡市出身 1969年9月26日生

      • 世界銀行を拠点にしたグローバルな経済支援の緒活動 

      • 学生生活

        • 1988年4月上智大学法学部入学

        • 1990年4月登戸学寮入寮

        • 1992年3月同大学卒業、同学寮卒寮

        • 1992-2007 アメリカ合衆国 1995年コロンビア大学国際関係修士(MIA),

        • 2000年ヴァージニア大学経済学修士(MA),2007年同経済学博士号(Ph.D)取
          得。

        • 学寮時代からの一貫した国際機関での活動の志を有しそれを貫徹

        • 模擬国連活動(日本模擬国連委員会委員長)への参加を通じて将来の国際支
          援活動のビジョンを持った大学生活を送る。 

      • 社会人生活   

        • 外務省専門調査員(国連日本代表部勤務)

          • 1995-1998年外務省専門調査員として国連日本代表部勤務、日本政府常駐代表
            団員として開発、環境関連の国連会議担当

          • 国連業務を土台に国際開発金融機関(国際機関)での途上国支援へと展開

        • 世界銀行勤務

          • 2003年世界銀行入行、今日まで20年間エコノミストとして活動。

          • 入行当初は調査研究事業が中心、計量経済学的分析等を担当し、その後カント
            リー・エコノミストとしての職務に移行、過去15年ほどは現地政府との経済政策
            対話、政策改革融資プログラムを担当。

          • 発展途上国への具体的な貢献。当初よりアジア、アフリカの発展途上国を担当し、2016年にタンザニア駐在、
            2019年9月よりバングラデシュに移り現地での具体的な支援を担当。

          • その間、東部アフリカ担当としてタンザニアを中心にスーダン、南スーダン、
            ウガンダ、ケニア、ルワンダ、ブルンジ、ソマリア、マラウィの業務に参加、3
            年前よりバングラデシュ、ブータン担当として経済プログラムの総括、ウクライ
            ナ危機等のマクロ経済不安定化の回避を主導、バングラデシュに対する新たな世
            銀グループの中期支援枠組みの作成等、文字通りアジア、アフリカの発展途上国
            の経済支援に従事。

      *なお二氏につき11月26日午後1時からの臨時理事会で最終確認予定

2022年ホームカミングデー

日時:11月26日(土)午後4時30分~6時頃
場所:登戸学寮 多目的ホール 同時オンライン配信

プログラム (予定)
                    総合司会 中村真子

  • ご挨拶 岸本 尚毅 理事 寮友会

  • 寮生活動支援報告:

    • 松井 共生 「IHC2022国際園芸学会に参加して」

  • 音楽会:

    • 井村咲月 独唱 (柴田真之介 伴奏)

    • 大城あい トランペット

    • コーラス Amazing Grace 伊藤直道指揮

  • 卒寮生等参加者ご挨拶

  • 朗読劇:

    • 神の宮―愛は不可能を可能にする― (ラーゲルレーヴ『キリスト伝説集』から)

    結城史音、吉野泉、伊藤直道、柴田真之介、米村那穂、三浦千尋、濃野開、道下朱理、松井共生

  • 終了後 懇親会

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